実のところ、僕はこの言葉はあまり好きではありません。
何となく高尚で自己犠牲が伴うイメージがつきまとっているような気がして…
自分がNPOとかやってるから照れくささもあるし…
監督はまったく照れることなく堂々としばしば社会貢献という言葉を口にしていました。
僕の二男がラグビー部員となり、監督と話をすることができるようになり、総合型クラブを土浦につくるので、いつかタグラグビー教室をやって欲しいと最初にお願いしたときに監督はこう言ってくれました。
「いいですよ。時間があればいつでも…僕はこの歳になって独身で、何かしたいことがあるかって言われると、お金とか地位とかってあんまり欲しいと思わないんだよね。何がしたいって…それは社会貢献ですよ!」
スポーツを通じた子どもたちの健全育成は長い目で見なければなりませんし、下手すると子どもたちが大人になってはじめてその結果が出るのかもしれません。さらに次の世代に持ち越すことだって考えられます。
そして、僕が容易でないと考えるいちばんの理由は…例えばサッカー教室をやるとしましょう。
その教室の目的が子どもたちのサッカー技術の向上、欲を言えばその教室からJリーガー等のトップアスリートの排出だとすれば…子どもたちの目的と合致するわけです。
「サッカーが上手になりたい!サッカー選手(Jリーガー)になりた〜い!」が多くの子どもたちがその教室に来る目的だからです。
「ねえ、ねえ、僕を健全育成してよ!」
そんな子どもはいません。断じて…
(いたら、逆にこっちがひいちゃうかも…)
つまり、双方の目的がかみ合わない点にあると思うんです。
当たり前のことなんですが、このことを忘れてしまうと子どもたちのニーズに応えようとするあまり、目的を見失う恐れだってあります。
エスカレートすると勝利至上主義ということに…
前述したように長い目で見て信念を持ってできるなら、子どもたちにスポーツを好きになってもらうこと…楽しければ続けられる…だとしたら、目的が合致しない健全育成のチャンスだって増える。
監督はプレーヤーとして輝かしい経歴をお持ちでしたが、決してその経験だけで指導するような薄っぺらな指導者ではありませんでした。
監督の心の声は子どもたちに届いたのでしょうか?
それは長い目で見なければならないことで、監督がいなくなった今、僕たちが見守っていかなければならないと思うのです。