雑用係兼理事長の日記

NPO法人スポーツ健康支援センターな日々


ようやく最終回です。

完全に競馬ブログと勘違いされていると思いますが…


明日からは日々激しく変動する政治や世界情勢を鋭い視点で解説する今まで通りのブログに戻します。

(そんな記事いつ書いてたんだよ!?)


明日は某医療福祉専門学校での講義があって…

パワーポイントで内容を作っていました。

ちゃんとデータがスライドに出るのか…ちょっと不安…。


                 白柵の下の刈られない芝(最終話)


あれから6年の歳月が流れた。


6月のとある日曜日、柴崎は東京競馬場にいた。
その日のメインレースは日本ダービー…そして、そのダービーで圧倒的な一番人気に支持された一頭の馬を柴崎は見守っていた。


馬の名は「ピースフロムガーズ」…ひょうたんから駒という馬名であり、地方で3戦してぶっちぎりで連勝したのち弥生賞を圧倒的なスピードで逃げ勝ち、さらに皐月賞では最後方から最後の直線で一気に17頭をごぼう抜きして2着に5馬身の差をつけて圧勝した。


サラブレッドは美しい。さらにピースフロムガーズは走ることによって生きる喜びを人々に与えるような躍動感があった。

地方出身で地味な血統の馬が並み居るエリートたちを蹴散らしていく姿は若者から年配まですべての競馬ファンを魅了した。

きれいな鹿毛と青みがかった瞳、4本の足は白いソックスを履いているようで、その姿は母親に瓜二つだった。


母の名は「ブルーアイズ」…今も北海道の牧場で元気に過ごしていた。


彼女はグッドラックステークスを勝って引退した。あのときの故障は予後不良と思われるほどだったが骨に異常はなくひどい屈腱炎と全身の筋肉が酸素負債をおこしたことによる痙攣だった。


その回復に全てを費やしたのは柴崎であり、借金を返した柴崎は残りの全財産を彼女の治療に使い、店をたたんで北海道に移り住み、牧場で働きながらひょこたん(ブルーアイズ)の世話をした。


今でもときどき青井ひとみが店にやってきた不思議な夜の出来事を思い出しながらひょこたんにブラシをかけることがあるが、その後も彼女が現れることはなかった。


ただ一度だけ…夢の中に現れてほほ笑みながらこう言ったのだった。


あのとき、中山の最後の坂を登るまで私は死を覚悟していました。
私の命と引き換えに恩返しをしようと…
でも失速してもう駄目だと思ったときふと考えたのです。
私は生まれて間もなく柴崎さんに生かされた…その生かされた命を失くすことが恩返しと言えるのだろうか?と…


私は生きる!


そして、本当の恩返しができるとすれば柴崎さんからもらったこの命を次の世代につなげることじゃないかと…
そう思った瞬間、自分でも信じられない力が出たんです。
私に子どもができたらきっとその子が柴崎さんへの恩返しになると思います。
なぜならその子は生きること走ることのすばらしさを生まれながらに知っているはずだから…人知を超えた走りをするはずです。


私のような駄馬から生まれたなんて想像もつかないような…たぶん、これが柴崎さんの好きなひょうたんから駒ですね。


その夢を見てからすぐに柴崎は出来る限り良い種馬をさがしてすでに完治して引退していたひょこたん(ブルーアイズ)に種付けした。


東京競馬場に10万の大歓声が沸きあがった。観客も出走場も興奮のピークに達していたがただ一頭だけ汗一つかかずに白柵(ラチ)の下の刈られない芝…そこに咲いた小さな名もない花をぼんやり眺めながらゲートインを待つ馬がいた。


柴崎はその姿を見てふっと思わず笑ってしまった。


「ひょこたん、あいつは今日も勝っちゃうな。」


そう心の中で呟いた柴崎の手にはピースフロムガーズの単勝が100円…きっと元返しだろう。柴崎もまた、10万の大観衆の中でただ一人のんびりと深呼吸をして空を見上げた。


6月の青空にダービーのファンファーレが吸いこまれていった。


               【 完 】


もしも…もしも最初から読んでくれた奇特な方がいましたら…

心から感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。



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