いよいよ本当に年末って感じです。
年末年始も休むことなく…
たぶん書類を書いていると思います。
決まった様式に事実を書き…数字を合わせる…
そんなことばかりやっていると何だかフィクションを書きたくなるのです。
あり得ない物語を…です。
実はそんな物語のストーリーを三編ほど温めていて…
そのうちの一編をブログにアップします。
自己満足の世界にどっぷりって感じですので…スルーしちゃっておくんなまし (*^_^*)
◆◆◆幸せの缶詰◆◆◆
◆まえがき
アオ(甲斐犬雄5歳ちょっとおバカ)の散歩をしていると毎日必ずと言っていいほど救急車のサイレンを聞き、アオはその音に反応して遠吠えをするのです。
そうして今日もいつもと変わらない一日が過ぎようとして思うこと、それはきっと幸せなことなのだろうなということです。
少なくとも自分の家では、今日、救急車を呼んでいません。
◆1 帰省
波多野優人が土浦に帰ってきたのは、久しぶりだった。協同病院まで歩いてみるかと優人は思った。
季節は秋から冬になろうとしていたが、乾いた風が気持ちよかったから…。
土浦駅の西口に出て線路沿いを歩くとモール505商店街が左に伸びていて、そこを右に曲がると常磐線の線路を潜って霞ヶ浦に出る。
そこにはつくばりんりんロードの出発点が何の飾りもなくたった一枚の看板表示だけでひっそりとある。
つくばりんりんロードは廃線となった筑波鉄道をサイクリングロードにしたものであり、終点の岩瀬までは40kmの距離がある。
優人はそのりんりんロードを少し早足で歩きだした。
父親が入院してからもう半年が過ぎようとしていたが、大阪に転勤してから約二年、父の見舞いはおろか一度も帰省していなかったのだ。
ある日、母親から電話があって様態が、良くないと告げられ、「お父さん、優ちゃんに何か話があるみたいよ。帰って来れない?」そう言われたのだった。
元気でやっていればそれで良いと今まで一度も帰省を促すようなことは父にも母にも言われたことがなかった。
そう考えると平静を装ってはいるが、母の心中も察しがついた。
優人はさらに足早に歩き、面会時間が終わる一時間ほど前に病室の扉を開けて、中に入ったのだった。
「おう、来たか。」優人の父、湘造が読みかけの雑誌を置いて言った。
「元気そうだね。」と優人は、二年も会っていなかった父に少し申し訳なさそうに言った。
優人は病院というところが苦手だった。
父の病室は二人部屋であったが、もう一つのベッドは空いていたことで救われたような気がしていた。
久しぶりの土浦の黄昏が病室の窓から入り込んでベッドにいる父親の顔を包みこんでいるようであった。
つづく…
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