雑用係兼理事長の日記

NPO法人スポーツ健康支援センターな日々


今年も残すところあとわずか…
2015年は早く感じた一年でした。


恒例の短編をやっと書き終わりました。
ほとんど校正なしにそのまま掲載します。


年末に花蓮を観て…
いつかは自分も自費出版して映画化…
そんな夢を見ています。
なので今回は特に台詞を多くして脚本チックに仕上げてみました。



写心第1話 幼馴染

 今は誰でも気軽に補正できて、きれいな写真がネット上でとても多く見られるようになった。
 もちろんそれは被写体として現実に目に見えるものであるが、時として写真は、撮ったの人の心を写し出したり、あるいは被写体が人物であればその写っている人の心を写し出すことがごく稀にあると思う。
 心はおそらく補正することはできず、ありのままに写し出されて、その写真は傑作と呼ばれるのかもしれない。


 今でこそデータとして残せて撮ったその場で画像を確認できるのが当たり前のこととなっているが、昭和を生きた人にとってはフィルムを現像して写真として見るまでの数日はとても長かったように感じる。
 強いて言えばポラロイドのようにその場で写真が見れるのは画期的だったのだ。


 三田響介と桜木梢は筑波山に来ていた。
 昭和はいつまでも続くと思っていた頃のことだ。
 同い年で幼いころから仲が良かった二人だが、同じクラスになったことはおろか同じ学校に通ったこともない。両方の父親が何をするにも一緒の親友だったことから二人は互いの父親に連れられて幼いころから遊んでいたのだった。
 そもそも両方の父親が親友だったのは趣味が同じで気が合うということであるが、この二人の父親の場合、子どもを連れて遊びに行くという大義名分のもとに競馬場に行くことだったので休みの日にはずいぶん競馬場に行ったものだった。


 そんな小学生のころを過ぎて、中学生になると親を抜きにして時々会うようになっていたが、もちろん競馬場に行くわけでもないし、いわゆる男女の交際というわけではなかった。
 高校生になったころ梢には付き合い始めた人ができたし、大学に進学したころ響介にも彼女ができたのだった。
 それでも二人は互いの悩み事を相談できる気の置けない存在であり、時として身近にいないことで気軽に何でも話せてしまうことがあるのだろう。
そんな二人はもう三十路を迎えていたのだった。


 筑波山の御幸ヶ原は頂上まですぐのところにある広い休憩所になっていて展望レストランや土産屋などもあり、狭い頂上よりものんびりと見晴らしを楽しめる場所である。そこのベンチに座って缶コーヒーを飲み始めたとき、梢がボソッと呟いた。
「私さ、結婚するかもしれない。」
「えっ?」
響介は驚いたが、言葉を続けた。
「今度は大丈夫なの?」
今度はと言うのは梢が一度結婚に失敗しているからだ。
「大丈夫…かな。」
「かな…って、危ねえなあ。」


 そう言えば過去に一度二人で筑波山に来たことがあったのを響介は思い出し、あのときも梢が結婚すると言ったのだったが、そのときは高校から付き合っていた彼氏とだったから何となく納得できた。
 しかし、今回は久しぶりということもあるが、そんな結婚相手のことを聞いたこともなく寝耳に水の状態だった。


「いつから付き合っているの?って言うか誰?」
「誰って…響介が知ってるわけないじゃない。」
「そりゃあ、そうだけど…」
「そんなに長く付き合ってないよ。でもバツイチって知っていて言われたし、年齢的にも受け入れるべきかなって…子どももできなかったし…。」
「適当だなあ。」
「何なの?喧嘩売ってる?」
「そうじゃないけどさ…」


 梢は三年ほどの結婚生活に終止符を打って一年が経とうとしていた。
 結婚してからは響介と梢が会う頻度はめっきり減ったが、たまに会うと別れようかなみたいなことを口に出していたのは事実であった。
 響介は内心、結婚するまでの交際期間が長いのも考えものだなとその当時は思っていたのだった。



来年に続きます。
みなさん、良いお年をお迎えくださいね (*^^*)
おやすみなさい (-_-)zzz


● 報告書の作成