雑用係兼理事長の日記

NPO法人スポーツ健康支援センターな日々

還暦

土浦は曇りで少しだけ雨が降りました。
今日、6月10日は時の記念日…そして自分の誕生日なのです。
昨日までの日記でテレビっ子と書いてきましたが…
外遊びはしなかったかというと…めっちゃしたと思います。
学校から1分で帰宅するとランドセルを放り投げて…
暗くなるまで帰ってきませんでした。


遊び場所は土浦小学校と亀代公園がホームグラウンドで…
当時、半ドンだった土曜日は市営グラウンド(現JCOMスタジアム)のサブグラウンド…たいていそこで野球をしていました。
まだアスファルトで舗装されていなっかた家の前で…
よく父親とキャッチボールもしました。
行動範囲が広かったのは小学1年生から自転車に乗れたからだと思います。


当時は今ほど交通量は多くなかったけれど…
近所のサトルちゃんは交通安全のお守りを自転車に着けていました。
ある日、そのサトルちゃんと自転車をぶっ飛ばしていると…
サトルちゃんが誤って池に落ちてしまったのです。
浅かったので事なきを得たのですが…
そのときサトルちゃんは池に落ちたのに自転車は倒れはしましたが池には落ちませんでした。
そして、その自転車のハンドルに着けられたお守りが揺れていました。
お守りのおかげ…なの?と子ども心に思いました。
お守りって身に着けるものだなと…。


野球の話に戻すととにかく毎日ボールで遊んでいた気がします。
とにかく1分で帰宅できてすぐに遊びに行くのですからまだ誰もいません。
土浦小学校の旧校舎の壁に当てて一人でしばらく遊んでいます。
今、スポーツをする子どもが激減していますが…
それはどこかのチームに所属しないとスポーツができないからだと思うのです。
例えばそのスポーツ少年団でも練習は土日だけ…
毎日毎日疲れ果てるまでボールを追いかけていた自分が今の子に野球で負けるわけがないのです。


野球は9人揃わないとできないと大人は考える。
しかし、自分たちがやっていた草野球で9人揃ったことなど皆無です。
3人対3人でもめっちゃ楽しいのが野球です。
その代わり、果てしなくボールを追いかけなければなりません(>_<)
体力がつかないわけがないのです。


その日は守備だけで終わることもしばしば…なのです。
そんなことで喧嘩になることも毎日で…
絶交という言葉が頻繁に飛び交いました。
お前とはもう絶交だ!と言って次の日にはまた一緒に野球をしているのです。
何事もなかったように…(-。-)y-゜゜゜
喧嘩にしても何にしても止める大人が周りにいないのです。
しかし、それで痛みを覚える。そして、他人の痛みも何となくわるようになる。



www.youtube.com


書き出すとやたら長文になりますが…
もう少し60年を振り返ってみようと思います。
ってことで…おやすみなさい(-_-)zzz


● 卓球教室

● フットサル教室