雑用係兼理事長の日記

NPO法人スポーツ健康支援センターな日々

眩しい夏の水面

土浦は晴れてはいたものの…
時折激しい雨が降る不安定な天気でした。
飽きるまで書き続けている60年の回顧録ですが…
記事を一つ書くごとに次から次へと思い出が甦ってきます。


そう言えばあんなこと…あったよな的で…
必ずしも時系列になっていないのですが個人的な日記なのでまあいっか(-。-)y-゜゜゜
昨日の日記で夏休みネタと言えば市営プールは欠かすことはできないと書きました。
亀城公園にはその昔、グランドピアノ型の市営プールがありました。



今、もしも存在していれば築60年になります。
そうなのです。自分の生まれた年に完成したのです。
自分はそのプールの隣の土浦病院という産婦人科で産声をあげたのでした。


亀城公園まで走れば1分なので必然的に市営プールにも1分で行けます。
普通の子どもは水着の上に服を着て…
着替えとバスタオルをビーチバッグに詰め込んで来るのですが…
自分は水着だけでバスタオルをマントのように肩にかけて行きました。
もちろん着替えなんて持っていきません!
濡れたまま走って帰ってそのまま風呂に入ればよいのです。


市営プールなので当時は無料で入れました。
確かカードがあって保護者の印が押されていればOKだったのです。
午後1時からと午後3時からの2回で入れ替え制です。
しかし、当時は市営プールはもちろん民間のプールも少なかったので…
両時間帯ともめっちゃ混雑していました。


小学生であれば水遊びでも良かったのでしょうが自分はとにかく泳ぎたかった!
で…裏技的なことをしていたのです。
1時と3時の時間帯が終わると5時から大人に解放されるのです。
夏の5時なので屋外でも明るいし照明もついていました。
じゃあ、子どもはダメかというと保護者同伴ならOKだったのです。
両親はまだ忙しい時間でしたが自分には祖父母がいました。
つまり、おばあちゃんに着いてきてもらい、思う存分泳ぎまくっていました。


その泳ぎまくっていた小学4年生の頃…
5時の大人の時間になると多少暇になった監視員のお兄さんに…
コーチしてもらっていたのです。頼みもしないのに…
スイミングスクールなんて少なくとも土浦にはなかった時代で…
5年生になったときには土浦市の学童水泳大会でブッチギリの優勝でした。



www.youtube.com


今のような水中眼鏡はなく、プールでは禁止だったと記憶しています。
なので毎日、目を真っ赤にして泳いでいました。
どの時間帯にも強制的に休憩時間が確か10分設けられていて…
プールサイドに座って早く10分経たないかなと…
そのとき見た誰も入っていないプールの水面は…
夏の陽射しを受けてキラキラと輝いていて…
飛び込んだら別の世界に行けそうな…そんな気がしていたのです。
ってことで…おやすみなさい(-_-)zzz


● 完全休養日