雑用係兼理事長の日記

NPO法人スポーツ健康支援センターな日々


話すと長くなりますが…


なぜペーパームーンという名前にしたかというと…


何となく…です。


って終わっちゃたじゃん!?

ペーパームーンは映画にもなっているしジャズのナンバーにもあってどちらもとても好きです。

しかし、世間一般からすれば人生をかけてオープンする店の名前にするほど思い入れがあるわけではありません。

ペーパームーンの小説の中で僕が特に気に入っているのは以下の文節です。


フランクリン・D・ルーズベルトが初めて大統領に選ばれた年を中心にした前後数年の時代のことである。当時、わたしたちの巻き込まれることになったデフレッション(世界恐慌)については、みなさんもすでにお聞き及びだろうと思う。
それはともかく、あの数年は一部の人々が騒ぎ立てるほど暮らしにくい時代ではなかったというのが私の実感である。ひとつには現在と同様、当時、地方の小都会に住む人々は貧乏暮らしが日常であり、金持ちになろうという欲など少しも持ち合わせていなかった。
いまひとつの要因は、生活に必要な最低の条件をみたす…充分に食べ、子供たちの衣類もまかなえ、どうにかこうにか雨露がしのげるだけの屋根さえあればという意味であるけれども…ために仕事に精をだしているとき、人間はたいてい心がやさしく、お互いに理解しあえる傾向にあるからかもしれない。
その逆に、いりもしないもの…たとえば、大きな自家用車とか豪勢なドレス、あるいはお隣より一回り大きな屋敷など…を手に入れようとハッスルしだすと、彼らは、例外なく短気に、そしていやしさを増す。
わたしの目には少なくともそう見えたものだが。
それよりもこれよりも、当時、たとえなにがしであろうと、大部分の人はお金というものを嚢中にしていた。それはロング・ボーイと一緒にどこへ行こうが、かならず取り引き相手のいなかったためしがなかったことからも察しがつくのではないかと思う。
働いてさえいれば、まずはふところにお金があったよき時代。
そして、その公式があてはまらないのが現代なのではないだろうか。


これは冒頭の部分です。

もちろん原作ではありませんよ。和訳されたものです。

(って威張っていうな!)

ふと、この部分が昭和61年の暮れに頭を過ったのです。