雑用係兼理事長の日記

NPO法人スポーツ健康支援センターな日々


やっと祭りが終わったのでこれからまとめて日記を書きます。


後の祭りとは手遅れとか遅すぎたときに使いますが、京都の祇園祭で最初のほうは山車が出て華やかに行われるのですが、最後のころは意外とひっそりと行われて…


それで、山車の巡行が終わった後の祭りを見に行っても遅すぎることから…という語源の説が有力とのことです。


土浦の祇園祭りは3日間で初日に神様が八坂神社から御仮殿(おかりや)に来ますので迎え祇園で2日目が本祇園で3日目に帰るので送り祇園と呼んでいます。


八坂神社の氏子は19町内で何年か前に「十」と「九」で「とくの会」というのが出来ましたが、一般的には普通に奉賛会と呼んでいます。

この19町内とはほぼ土浦小学校区の町内ですが、市民体育祭など自治区で分ける場合は、東崎町とホーユーパレスが別になり、20となります。


ちなみに土浦一中地区は33自治区で…区長の名前を覚えるだけでもけっこう大変なんですよ。


さて、なぜこんな数字を出したかと言うと、土浦の場合、山車を巡行させる当番町というのがありまして、5町内ずつだと4年に一度当番がまわってくることになりますよね。


その各町内に祭典実行委員会があり、5町内で連合実行委員会を作り、巡行のコースや日程、その他諸々を決めてお祭りをやっちゃうわけです。


そして、5町内の中でその年のまとめ役…つまり、幹事町を順番に立てるとしたら、20年に一度、幹事がまわってくることになりますよね。


それが、今年…僕がいる中央一丁目だったということですよ。


僕の役目は連合実行委員会の交通長でした。


何が大変かというと…ある一定の場所でイベントをやるとかなら交通規制もその場所だけで良いのですが、山車は市内を練り歩くわけですから…その先々でクルマの誘導をします。


単純に計算しても延べ150人以上を動かして、何時から何時までここに立っていてクルマを右だけに流してねとか、山車がA地点を通過するまでここは通さないでねとか…


それを、すべて地図上に計画的に配置図として作成して、さらに当日は警察官40人(延べ120人)を動員して…みたいな…


この場をお借りして…連合の交通に関わった全ての方にお礼を申し上げます。

お疲れさまでした。


本当にありがとうございました。