3月に地区のグラウンドゴルフ大会をやることに…
で…回覧版で参加者を募集するのですが…
逆算すると募集のチラシは今年中に仕上げなければ…
って…あと2日じゃん!?
と言うことで今日はほぼ一日要項とチラシを作っていました。
夜は一高野球部OBの忘年会があって…さすがに忘年会もこれが最後です。
さて幸せの缶詰の最終話で…昨日からの続きです。
◆◆◆幸せの缶詰◆◆◆
◆5 証
「美野里ちゃん、今も元気なの?」
「もうすっかり元気で、2年くらい前に結婚して…確か水戸に住んでるんだ。」
水戸に住んでいると聞いて、優人は、そう言えば美野里ちゃんの名前は土浦から水戸に行く途中の美野里町と同じ字だったことを思い出した。
「じゃあ、借金の方もすぐなくなって会社も立ち直ったんだね。」
「ところが、そうじゃないんだ。お前がこの病室に来たとき幸せについて考えると言ったが、まさにそこなんだよ。」
もしも幸せの缶詰を開けてたくさんの幸せを手に入れたなら、病気も治って会社も立ち直るというのがセオリーではと優人は思ったのだが…
「美野里ちゃんの病気が奇跡的に治ってからも会社の方はうまく行かず、借金はさらに膨らんだくらいだ。それからジョーは会社を整理してホームセンターで必死に働いたんだ。あいつが休みの日に何かをしたなんていう話は一切聞いたことがないくらい…。
現に借金を完済したのはつい最近の話で、沖山家はずっと貧乏暮らしだったよ。それは、今もたいして変わらないかな。」
「そうなんだ。」
「でもな…ジョーは自分を日本一の幸せ者だとよく言っているんだ。オレも何となくわかる気がするんだ。」
「そういうもんかな…?」
「もう時間だな。この缶詰、持って行け。今日は家に泊まってくんだろ?」
「ああ。でも明日早めに大阪に帰るよ。」
「そうか。母さんに何か上に羽織るもの持って来るように言ってくれるか?」
「ああ。わかった。あっ、お袋はこの話とか知ってんの?」
「いや、この缶詰のことは誰にも言っていない。」
「そう。じゃあ、行くわ。」
「優人…」
湘造は、少し間をおいてからこれまで見せたことのないような真剣な顔で…
「幸せに生きろ。いいな。」と言った。
優人が病院を出るとすっかり暗くなっていた。
実家までの間中、缶詰を開けようとしてみたが、やはり開けることはできなかった。
次の日、大阪に帰ったが、缶詰のことは誰にも言わず、一週間を過ぎると優人も気にしなくなり、机の引き出しの奥の方へ幸せの缶詰は置かれていた。
さらに一ヶ月が過ぎるころ、父湘造はこの世を去った。
告別式の会場にはジョーおじさんと美野里ちゃん親子も参列していて「親父さんには、本当に世話になった。お金のこともそうだが、何か目に見えない力をもらったような気がする。本当に礼のしようがないくらい感謝している。」と泣きながら言われたのだった。
後から聞いた話だが、ジョーおじさんは毎日のように湘造の見舞いに来たようだ。そして口癖のように「何か出来ることはないか?」と言っていたと…。
父湘造が他界してからずいぶん月日が流れ、優人はいつの間にか父の年齢を追い越していた。
その間には良いことと同じくらい苦労もあり、沈むこともしばしばあったが、それは父の年齢を超えた今でも続いているのである。
優人は、机の引き出しの奥の方から缶詰を取り出して…
確かめるように開けようとするが、やはり開けることは出来ない。
どんなに辛いことがあっても…あの日病院で父湘造の最後の言葉にそっと答えている。
「親父、オレは幸せに生きてるぜ。」
幸せの缶詰は、開けることで幸せになるのではなく、開かないから幸せなのである。
=== 完 ===
あとがきらしきもの
ブータン王国の国民総幸福量(GNH)を耳にすることがあります。
どれだけの国民が幸せかということですが…
そもそもその指標はどこから来るのでしょうか?
幸せは詰まる所その人が決めるしかないような気がするのです。
そうであるならば…
自分は不幸であると思うよりも幸せだと思っていた方が良い人生を送れるような気がします。
幸せの缶詰はもちろん架空のものですが…
例えば宝くじの一等は不幸な人しか当たりませんと言ってくれれば…
日本のGNHは大幅アップするかもしれません。(ないか?)
● 3月7日GG大会打ち合わせ