雑用係兼理事長の日記

NPO法人スポーツ健康支援センターな日々


昨日の日記で学生のとき楽器運びのバイトのことを書いたついでに学生のときに住んでいたところを紹介しようかなと…


それでこのタイトルです。

巣鴨の地蔵通り商店街を抜けて都営荒川線(都電:いわゆる「ちんちん電車」)の庚申塚の駅の近くに住んでいました。

大学にはちんちん電車で通っていました。

東池袋四丁目から雑司が谷鬼子母神学習院下、面影橋を通過して…


大学時代プラス1年間で計6年間(計算が違ってると思うかもしれませんが勉強が大好きな僕は1年間余計に大学に通っていましたが、何か?)をここで暮らしたことになります。


たぶんこの経験が現在の中高齢者の健康増進事業みたいなことをやる根底になっているかもしれません。それは、この間ずっと「健やかな高齢社会の縮図」を見続けていたからです。


高齢社会というと大部分の人があまり良くないイメージを持っていると思います。確かに問題も多いけど学生のときに見続けたあのおじいちゃん、おばあちゃんの原宿と称される地蔵通り商店街を見る限り…僕の場合、とても悲観的には捉えられないのです。


こうなるともう竹下通り以上かも…たぶん4のつく日だな。



高齢化問題を取り扱う著書には印で押したように以下のことが書かれています。


近い将来、高齢者の人口は倍になる。今は4人の生産層が1人の高齢者を支えているが、それが2人で1人を支えることになり、負担は倍増する。


これっておかしいと思いませんか?

高齢者すべてが身体的にも経済的にも弱者であれば確かにこの図式になるかもしれませんが…例えば何らかの施設に入所している高齢者にしても全体からすれば5%に満たないわけですよ。

経済的に見ても日本の高所得者のほとんどは高齢者のはずです。


つまり、根本的な間違いは生産層だけが高齢者層を支えるという図式自体があり得ないということです。

高齢者が高齢者を支える、あるいは逆に高齢者が生産層を支えるという図式を無視しているように思われます。

あの巣鴨とげぬき地蔵を思い出すとこれからの超高齢社会のためにはほんの少し工夫が必要な気がします。なぜなら団塊の世代を含めて今後、何年か先に高齢者になる人たちは生活の利便化により身体活動量が激減していると思うのです。


ですから、残り95%の高齢者の方に可能な限り自立した生活を送ってもらうために健康支援が必要になってくると思います。